七夕という行事は太陽太陰暦(旧暦)の七月七日に行われていましたが、現代ではその殆どが新暦で執り行われています。
一年に一度だけ逢える星の物語で知られる七夕の夜の天気は、その殆どが曇りや雨が多く、そもそも梅雨時にそのような行事を行うこと自体に無理があるように思われます。
およそ6500万年前に南極大陸と一緒だったインド亜大陸はユーラシア大陸の南東縁に衝突してもぐり込みインドカシミール地方に見られる地溝帯となりユーラシア大陸は上昇しヒマラヤ山脈が出来ました。
このことによってインド洋から蒸発した水蒸気が雲となり北上しヒマラヤ山脈に沿って東に向かって移動し中国南部から東南アジアに大量の水を供給するアジアモンスーンが発生するようになります。
さらに東北方向に移動し日本に水の恵みをもたらすようになったのが梅雨で、日本には有史以前から梅雨があったことが分かっています。
七夕が梅雨時というのは新暦(太陽暦)の話であって、古来からの旧暦(太陰暦)では時期が違うことに気づいている方は多くなって来ています。
旧暦の七夕は現在の新暦では毎年日付が違いますが概ね8月中にあたりますので、殆どの地域で梅雨が明けて夜空の星が眺められるようになる時期です。
太陰太陽暦にもとづく七夕を「伝統的七夕」と2001年から国立天文台が報じ始めていますが、梅雨時に星が見えないと問い合わせが多くそのようにアピールするようになった様です。
本来暦と密接な関係を持っている国立天文台は江戸時代の天文方であり天体運行及び暦の研究機関で主に遍歴を司っていました。
現代の新暦で執り行う七夕には日本の季節や気象そして伝統的な文化との接点は全くなく、ただの数字合わせとして7月7日に行っているものでしかないことは国立天文台が一番よく分かっているはずでしたが、明治の改暦以来延々と繰り返されてきた新暦の7月7日の七夕に異議を唱えてこなかったのは残念ながら国立天文台なのです。
旧暦の行事は常に月の満ち欠けと合致しています。
七夕は旧暦七月七日で新月から七日目の月の日ということですので、毎年旧暦の七夕は月齢6、輝面比35~40%前後の月が見られることになります。
七夕と関連の深いお盆(旧暦七月十五日)は必ず十五夜になります。
盆踊りは煌々と輝く満月の夜に行われていたことが旧暦から知ることが出来ます。
夏から秋への季節の節目を祭りとしたものなど季節と月の満ち欠けとの関係は密接で、月を通じて見ることで本来の行事の意味が理解できるものが数多くありますし、一つ一つの行事と月の関係を辿るのは本当に興味の尽きないところです。
七夕を単なる民族習慣や伝統と思われている方は多いようです。
実際には、七夕は節句の一つであり古代中国の陰陽五行説を由来として日本に定着した暦による伝統的な年中行事を行う季節の節目にあたる日です。
宮廷においては節会(せちえ)と呼ばれる宴会が開かれ、江戸幕府が公的な行事・祝日として定めたのが五節句で人日(一月七日)、上巳(三月三日)、端午(五月五日)、七夕(七月七日)、重陽(九月七日)です。
明治の改暦以降、お盆が新暦の月遅れの8月15日前後に行われることとなり、七夕とお盆の関連性は失われてしまうことになります。
文明開化の名の下で新政府の方針に従い従来の生活文化や民族風習の排除が行われ失われたものは大変多く、旧暦の七夕もその一つとなっています。
新暦においてもかつての旧暦行事を行いたいという思いは末永く残っていましたが、旧暦は新暦とは毎年日にちが違い計算が難しいことから、旧暦が新暦とおよそ一ヶ月ほど遅れることを前提として単純に一ヶ月遅れて行う事へとなったものが月遅れです。
五節句などの日付に意味のある行事では新暦でそのまま執り行われてきたため旧暦の時期とは大きくかけ離れることとなっています。
近年、気象協会などがネイティブアメリカンなどが呼んだ満月名称を新暦に当てはめて報じていますが、これは明らかな間違いで、すべて旧暦での名称に戻すことが必要です。